1990年生まれ。
静岡県出身、静岡県在住の駆け出しブロガーです。
ブログの目的
なぜブログ運営をしているのか?
自分勝手な理由を述べさせてもらうと、「経済的自由(FIRE)」を達成するためです。
では、なぜ「経済的自由(FIRE)」を達成したいのか?
「もっと自由で、自分で選べる人生を歩みたい」からです。
教員時代
家が「教員家系」ということも影響し、大学を卒業してから高校の英語教諭になりました。
本当は「教員にはなりたくない」と思っていたのですが、家族を説得して「自分で他の進路を選び取る」ことが、その当時は、できませんでした。
「後悔しているか?」と問われれば、「あれもひとつの経験だった」と、今では思えます。
ただ、「歩まなくても良かった道」かもしれません。
もしも10年前に戻れるのであれば、家族を説得して「教員以外の道」を歩んでいたと思います。
なぜなら「経済的自由には程遠い世界」だからです。
副業もできませんし、何より労働時間が超絶に長いです…!
月平均90〜100時間は残業をしていましたし、自分の時間はほぼ無かったように記憶しています(忙しすぎてあまり覚えていませんが…笑)。
今思えば「勇気ある撤退」でしたが、当時は逃げるように退職しました(笑)
大学院時代
その後は「どうしようかな~」としばらくブラブラと半ニートのような生活をしていました。
元々、大学院に進学したかったので、自分の出身大学に講義に来ていた「他大学」の先生に直談判しに行き、
「大学院に進みたいんです!」
と話をさせていただきました!
直談判の甲斐もあり、大学院の入試を受験することができ、翌年からは大学院に進学しました。
大学院では「言語学」「英語学」「教育学」を中心に学びました。
先生や同級生には本当に恵まれ、今でも「あのメンバーで仕事ができたら最高だなぁ」と思うことがよくあります。
大学院卒業後は、他の大学院に進学して「博士号」を取ろうと思っていました。
最終的には大学教授になることが、当時の目標でした。
今でも「博士号を取りたいなぁ」「もう少し大学院で勉強したいなぁ」と思うことがありますが、FIREを達成できたらその夢も叶えたいと思います。
その当時は、圧倒的に「力不足」でその夢は諦めました。
超サイヤ人ばかりの世界にクリリン…いや、ヤムチャが放り出されて闘っているようなものでした(笑)
いや、クリリンもヤムチャも強いですよ、そりゃあ!
でも、周りが圧倒的に強すぎるんですね…。生まれ持ったセンスが違うと言いますか…。
元々戦闘力が高いのに、努力の天才たちでもあるんですよね。
「言語学」や「英語学」というニッチな世界で「ごはんを食べていく人たち」というのは、本当にバケモノです。
ということで、「ちょっと強いくらいの一般人」の私は、よくわからない状態で「就職活動」をすることになりました。
「就活の仕方」なんてわからない私は、とりあえず、3つだけ条件を決めて就活をしました。
・出身地である静岡県には留まる(静岡県内であれば、どこでもOK)
・「英語」と「教育」にはもう関わらない
・教員に比べたらどこも天国なので「給与」と「年間休日」は気にしない(残業は多くないほうがいい)
今振り返ると、この就活は悪くなかったと思います。
就活の「目的」と「軸」が明確だったので、特に迷うこともなく、「無欲」だったことも功を奏していたと思います。
ただ、総合点で言うと「70点くらい」だったように思います。
サラリーマン時代①:中小企業の総務・人事
そんなこんなで静岡県内のメーカーに就職しました。
従業員数は900名弱くらいで、ニッチな業界でしたが日本のインフラを支える良い会社でした。
未上場の同族経営の企業で、雰囲気も温かくて、今でも好きな会社です。
私が就活をしているときに「総務」を募集しており、「総務って事務職だよね。PCも使えるし自分でもできるだろ」と安易な気持ちで入社試験や面接を受けました。
総務には2年も在籍せずに、そして、総務らしい仕事もほとんどせずに、人事課に異動になりました。
結果的にはこれが私の新たな「武器」を身につけることに繋がります。
総務のときは「英語ができるから」という理由でアメリカに出張に行かせてもらったり、海外からの来客対応をしたり、様々な経験を積みました。
「英語はもう使わないぞ」と思って就活したのですが、「英語ばかりやってきた人生」だったので、その時点でTOEICも900点を超えており、周りもいい意味で放っておきませんでした。
海外工場の立ち上げに携わらせてもらったこともありますし、ヨーロッパの企業の社長さんや役員さんとお話する機会もあり、「あー、英語ってこうやって活用できるんだ」と実感を持ってビジネス英語の体験を得ることができました。
話を戻しますが、2年も経たずに人事課に異動になり、そこで新たな武器を身につけることになります。
いやー、人事は本当に自分にフィットした仕事だと思います。
私のバックグランドは、やはり何と言っても「教育」なのですが、「民間で教育の知識・スキルを活かせる」のが、まさに「人事」という仕事だと思います。
普通、教育分野の勉強をしてきた人は、「その道」に進みます。
つまり、学校の先生や塾の先生、学校教材を作る出版社や大学の事務職などの道に進む人が多いです。
大学で「教育学部」に進む時点で「先生になりたい」と思う人が多いわけですから、それ以外の道に進む人が少数派なわけです。
ただ、私は教員家系という「お家柄」もあってその道に進んだたため、周りの人とは少し「違って」いました。
「教育自体はそこまで嫌いではないけど、教員は自分には合わない」
その現実を目の当たりにしたときに、ある種の「絶望」のようなものも感じたのですが、絶望する必要はありませんでした。
企業にも教育のバックグランドを活かせる「人事という活路」があることに気がついたときは、「道が開いた」ような感覚になりました。
私の主戦場は「採用活動」でしたが、「社内研修」や「新入社員教育」も担当しましたし、「人事制度」に絡むような仕事もしました。
中小企業に務めるメリットだと思いますが、幅広い業務を経験することができ、思考も養いながら、精神的にもスキル面でも大きく成長することができました。
やれることがどんどんと増えていき、「おぉー、これは楽しい。もっとやりたいことが増えてきたぞ!」と思っていたのですが、人は成長すると「次のステージ」を見てみたくなる生き物です。
「次のステージ」が見えてくると、今の職場が物足りなくなります。
今の職場が物足りなくなると…そうなんです。
周りと歩みが合わなくなる
…んですよね。
これは「良い・悪い」ではなくて「仕方ないこと」だと私は思っています。
25メートルプールで泳げるようになったら、50メートルプールで泳ぎたくなりませんか?
というか、泳がないと「成長」がないんですよね。
前職にはとてもお世話になり、人間関係も80点以上は取れていたので、「ここで一生働くんだろうな」と思ったこともあります。
でも、「人生一度切り」じゃないですか。
「どうせなら、一度の人生で経験できることは多いほうがいい」
と思いませんか?
そして、後ろ髪を引かれる想いで転職を決意しました。
サラリーマン時代②:日産系サラリーマン誕生
今思うと「英語が好きで得意なら外資系で転職」という道もあったと思うのですが、これも「視野狭窄」でしょうか。
なぜか「メーカーの人事職」というイメージが頭の中で固まっており、メーカーばかり探して転職活動していました。
静岡県内には「メーカーがそこそこある」というのも拍車をかけたと思います。
メーカーからメーカーに転職して後悔しているかと問われれば、後悔はないです。
ただ、「もっとやれたな!」という気持ちや「もっとチャレンジできるぞ!」という気持ちにはなっています。
今は日産系の大手中堅メーカーに勤務していますが、良い「足がかり」になっていると感じています。
自分で言うのもなんですが、人事(特に採用活動)に関しては、実務経験は相当積んできたので、「肩書き」がついてくれば「次のステップ」が見えてくるはずです。
前職は知名度が低くて、どうしても活躍の場を広げづらかったのですが、今は多少は知名度がある企業に転職できたので、「次に繋がる」と考えています。
ちなみに「日産系サラリーマン」と称しているのは、「三菱サラリーマン」の穂高 唯希さんへのリスペクトを込めてオマージュさせていただいています!
(駆け出しブロガーすぎて、まったくご本人には認知されていませんが…)
ただ、どこに行っても「人間関係」に関しては「悩みが尽きない」のが現実です。
「配属ガチャ」「上司ガチャ」とはよく言ったもので、サラリーマンになってからというもの、結構悩まされています(意外なことに教員時代のほうが人間関係は楽でした。経験期間が短いのも影響していますが)。
そこで、私は考えました。
「もう人間関係には悩まされたくない。自分で選べる自由な人生にしよう!」と。
人生一度切りです。
キャリアに後悔して「あんな選択をするんじゃなかった」「もっとこんな人生もあったかもしれない」と思って死にたくないと、本気で思っています。
じゃあ、自分に何ができるか?
それは「選択肢を増やし続ける」ことです。
選択肢を増やすことによって「こっちのルートも選べる」「こっちのルートは敢えて選ばない」ということができるようになります。
そのためにブログで経済的自由(FIRE)を達成したいと思い、行動しています。
加えて、みなさんにその歩みを見てもらいながら、「これは有益だ」と思ってもらえることがあれば、私にとってこれ以上幸せなことはありません。
みなさんにとっても、私にとってもメリットがあるからです。
ここまで、こんなにも長いプロフィールを読んでくださり、本当にありがとうございます!
「日産系サラリーマンが本気でFIREを目指すまでの道のり」をぜひ見守ってください!
これからどうぞ、よろしくお願い致します。